黄色といえば、この色を生涯にわたって求めた画家、『ひまわり』の絵で有名なフィンセント・ファン・ゴッホが思い出されます。
黄色の求道者といっていいような画家であったゴッホ。若い頃に描いた風景画や貧しい炭鉱の人々をモチーフにしたくすんだ色調の作品においても、すでに黄色が闇の中で輝くランプのように灰かな光を放っています。そしてオランダからフランスへと移り、特に南仏アルルでの暮らしが始まってからは、いよいよ黄色の明度が上がりはじめます。その名も「黄色い家」に部屋を借り、そこで画家ゴーギャンとの共同生活を実現しようとした前後に描かれたと思われる『寝室』(1889年)という作品があります。この絵には、その小さな部屋からこぼれんばかりの黄色が満ちあふれています。窓際に当たる黄色い陽光、壁に掛かる絵の黄色い額、黄色い椅子、そして画面を大きく占める黄色のベッド、黄色い枕カバーとシーツ・・・。
黄色い部屋
“黄色い部屋”を描いていたアルル時代、ゴッホがもっとも傍に呼び寄せたかったのが尊敬する画家ゴーギャンでした。当時、この絵についてゴッホはゴーギャン宛に次のように書き送っています。
「君も知っている白木の家具のある僕の寝室を30号で描いた。何もないこの室内をスーラ風の単純さで描くのは、たまらなく面白かった。・・・壁は青白いライラック色、床は混色のため槌めた色合いになった赤、椅子とベッドはクロム・イエロー、枕とシーツは薄い緑がかったレモン色・・・、僕はこのように変化に富んだ色調で、絶対的な休息を表現したかった」
この手紙には、ゴーギャンへの呼びかけるような調子が感じられます。実際には、二人の共同生活はゴッホの耳切り事件でわずか二カ月ほどで破綻。ゴーギャンはやがてタヒチへと旅立ち、ゴッホは精神発作に苦しむようになります。そんなゴッホの晩年の悲痛さを知ると、どこまでも輝くように描かれた“黄色い部屋”の絵には、表面の明るさの背後に隠れた彼の底無しの閣を見るような気がします。
光が強ければ、それが生み出す闇も深く鋭い。その間からはい上がるようにして黄色の光を求めつづけたゴッホにとって、“黄色い部屋”の絵は、ついに得ることのなかった人との幸せをイメージの中で“静止画像”として永遠に刻んだ作品だったのかもしれません。
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